川崎鶴見鉄道録

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「北海道命名の地」を訪ねて 北海道放浪の旅 9日目⑥

前の記事はこちら。

音威子府駅 北海道放浪の旅 9日目⑤

 

突然ですが皆さん「北海道」という名の由来をご存知ですか?

私は20年間北海道に住んでいましたが、正直よく知りません。

 

実はこの旅を行った2018年、北海道では「北海道命名150周年」というキャンペーンが大々的に行われ、記念式典には天皇・皇后両陛下(当時、現在の上皇上皇后両陛下)が来道しご出席されました。

そして今回訪れた音威子府村には「北海道命名の地」なる、このキャンペーンにドンピシャな場所があったので、立ち寄ってみることにしました。

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音威子府市街から国道40号線を少し北に向かったところに、このような道路標識が立っており、国道から逸れるように砂利道が続いています。

 

その砂利道の先に「北海道命名の地」がありました。

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えらく立派な碑が立っており、ちょっとびっくりです。

 

碑の横には「北海道の由来」を解説した案内板が立っておりました。

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この解説を要約すると

1857年、探検家である「松浦武四郎」は蝦夷地(当時の北海道の名称)の天塩川流域の探査を行っていました。

その探査の途中、現在の音威子府村筬島でアイヌの長老と出会い、当時のアイヌの通称である「カイナ」の意味を尋ね、長老は「カイとはこの国に生まれたもの、ナは尊称である」と答えました。

これを聞いた武四郎は「アイヌの人々は、自分たちの国を「加伊(カイ)」と呼んでいた。アイヌの人々はヒゲを伸ばしていたことから、エビの字を含む「蝦夷(かい)」という字をあて、アイヌの土地という意味で「蝦夷地(えぞち)」と名付けたが、実は「蝦夷」のもともとの語源は「加伊」のことを指していた」と考えました。

 

その後1869年に、明治政府は蝦夷地の改名を決定。

開拓使の判官になった武四郎は、明治政府に改名案として「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6つを提案し、政府は「北加伊道」を採用することにしましたが、「加伊」を北方の海に通じるという意味で「海」に変更して「北海道」という名が誕生しました。

現在の「北海道」という地名は、松浦武四郎がこの地でアイヌの長老と出会ったことによって生まれたのです。

ということらしいです。

 

つまり北海道の「海」は、実はアイヌの言葉に由来しているのですね。

なんとなく、京都から見た「東海道」と同じように、東京から見た北方の土地という意味だと思っていたのですが、実は上記のような意味が込められていたとは、知りませんでした。

 

「北海道命名の地」は、松浦武四郎が探査した天塩川のほとりにあり、とても穏やかな空気に包まれていました。

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対岸には宗谷本線が走っており、一瞬ですが列車からもこの碑が見えるそうです。

松浦武四郎の思いを感じつつ天塩川を眺めながら乗り鉄すると、ちょっとしたロマンに浸れるかもしれませんよ。

 

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天塩中川駅 北海道放浪の旅 9日目⑦