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松阪駅からは、2日目のメイン路線である名松線に乗り込みます。
15本目 名松線 415C 伊勢奥津行き 松阪(13:09)⇒伊勢奥津(14:33)
充当車両はキハ11-306です。
キハ11形は国鉄民営化後にJR東海と子会社の東海交通事業が製造した形式ですが、現在は1999年製の300番台6両以外の42両は、ひたちなか海浜鉄道やミャンマー国鉄へ譲渡されており、JR東海でのキハ11形の定期運用は名松線に残るのみ。
他社がJR型どころか国鉄型さえ延命して使い続けているのに、さすがはJRイチのお金持ちの東海、陳腐化したらJR型でさえ容赦なく淘汰するとは・・・。
名松線は松阪駅と伊勢奥津駅を結ぶ路線ですが、なぜか両駅に一つも絡まない「名」という字が付いています。
それは名松線がもともと、布引山地を超えて名張市まで到達する路線として計画・敷設された路線であるからです。
名松線が敷設された昭和初期は、現在のように長大山岳トンネルを掘る技術が無いため、松阪側は「雲出川」が作り出した渓谷に沿って山を越え、「名張川」に沿って山を下り名張市付近まで到達する計画でした。
しかし名松線が開通する前に、そのすぐ北側を参宮急行電鉄(近鉄の前身)が路線を開通させ、かつそちらのほうが距離・線形とも勝ってたため、名松線を建設する理由がなくなってしまい、伊勢奥津駅まで開通したところで工事は終了。
そのため大きな町でもなければ、ほかの鉄道と接続する交通の要衝でもない中途半端な場所が終点の「未完の盲腸線」として、もっぱら沿線住民のローカル輸送路線として運営されることとなりました。
そんな名松線は、前述の通り雲出川の急峻な渓谷沿いに敷設されたため、台風などの大雨による土砂災害に弱いという欠点を抱えており、2009年の台風18号で被害を受け、その後三重県などが治水対策の工事などを行った関係で、2016年まで7年間も不通状態が続いていたというありさま。
そんなことあって乗り鉄出来ずにいた路線でしたが、今度いつ大型台風やゲリラ豪雨で再び運休に追い込まれるやもしれないので、動いているうちに乗っておこうという計画でありました。
列車は定刻に松阪駅を発車。
乗車率は1ボックスに1組程度でした。
松坂駅から1kmほどは、紀勢本線との単線並列が続きます。
そののち紀勢本線と別れて、進路を北西へ取ります。
松阪周辺は、のんびりとした田園風景が続きます。
井関駅に到着。
かつては交換駅だったそうですが、現在名松線は家城駅を除き棒線化されているため、井関駅も旧ホームの雑草に覆われており、まったく見ることが出来ません。
左下に見える錆びついて土に埋もれそうな廃レールが、かろうじて交換設備を有していたことを今に伝えています。
井関駅を過ぎると、雲出川が見えてきました。
松阪駅を出て30分ほどで、名松線唯一の交換可能駅である家城駅に到着。
そして家城駅では、JR線で唯一となるとても珍しい光景を見ることが出来まして、それを見物することが名松線完乗と並ぶ大きな目的でありました。
長くなったので、そのお話は次回の記事で。