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本連載シリーズ「北海道放浪の旅」でありますが、なんと今回で100回目の更新を迎えました。
振り返りますと、この旅に出たのがおよそ1年前の2018年7月1日、そして連載を始めたのが2018年7月15日のことでした。
それから約11か月かけて100回に渡り更新してきたわけですが、全13泊14日の旅の記録のうち、未だ9日目も消化しきれていない状況でございます (^_^;)
旅を終えた段階の感触だと、今年のゴールデンウィークくらいまでかかるかな?と思っておりましたが、相変わらずの長筆・駄筆・遅筆が響いておりまして、旅立ってから1年が経とうしている現在でも、終わる気配が全くございません・・・。
といっても、間に日常ネタや遠征ネタも挟みつつの連載であり、ブログの更新自体は週5~6ペースで続けておりますので、全体的に考えると更新頻度はかなり高めのブログなのですがね。
個人運営のブログというものは「1年後にも更新が続いているものは1割しかない」と言われているらしいです。
その事実から鑑みますと「1つの連載を1年間で100回も更新し続けている」というのは、ある意味驚異的なことだと思います。
じゃあ1記事あたりの内容の濃さは?という話になると、あれなんですが・・・。
すでに100回も連載したものに対し、いまさら記事の内容を簡略化して連載期間を縮める気もないので、今のテイストでこの先も更新を続ける所存です。
ですがそうなると、今までの実績から推測するに記事数にして残り50回程度、期間にすると年末までかかることになります・・・。
今までの99回すべてを読んでくださっている方は、おそらく指折り数えられる程度と思いますが、今後も気長にお付き合いいただけますと幸いです。
そんな記念すべき100回目の記事にして、ついに「日本最北のまち」である稚内市に到達しました。
まず向かったのは抜海駅です。
抜海駅は、宗谷本線で3番目に北にある駅ですが、抜海駅より北側にある稚内駅および南稚内駅は有人駅であるため、この抜海駅は「日本最北の無人駅」ということになります。
ただ無人駅とはいえ、かつては有人駅だった名残で駅舎はそれなりに立派です。
そんな抜海駅舎の中の様子。
ガランとしておりますが、赤く塗られた扉が良いアクセントになっています。
有人駅時代の抜海駅は貨物扱いも行っており、現在も往年のカウンター跡が残されております。
お馴染みの駅ノートもありますが、管理の仕方が他の駅とは少し違います。
抜海駅の駅ノートはルーズリーフ式で、ある程度溜まったらバックナンバーという形で製本されているようです。
有志の方が行っているのだと思いますが、表紙にも気合が感じられて維持レベルが高いですね。
ホームから見た駅舎。
表から見ると気付きにくいですが、裏から見ると木造駅舎だということが分かります。
抜海駅は、木造駅舎としても日本最北だそうな。
ホーム側の入口には気合の入った駅名看板がありますが、この黒い縦型のやつは貝殻を貼りつけて文字を模っているらしいです。
続いてホームの様子。
抜海駅は2面2線の相対式ホームとなっています。
駅名標を記録。
縦型のやつは、なぜか2種類あります。
ホームを観察していたら警報が鳴りだしたのでカメラを構えると、運よく札幌行きの特急「宗谷」がやってきました。
52D 特急「宗谷」
この「宗谷」の札幌駅~稚内駅の走行距離は396.2kmで、これは在来線昼行特急では博多駅~宮崎空港駅を結ぶ「にちりんシーガイア」に次ぐ第2位の距離です。
ちなみに400kmを東京発の新幹線に当てはめると、東京~岐阜羽島(396.3km)や東京~古川(395.0km)とほぼ同等であり、東京~名古屋や東京~仙台よりも長い距離となります。
抜海駅前の様子。
抜海地区の集落は駅から数キロ離れたところにあり、駅の回りには民家が2件あるのみで、集落らしきものはありません。
一応1日平均乗車人員は1.4人だそうですが、半分以上は鉄道オタクなんじゃないでしょうかね?
抜海駅探訪はこれにて終了ですが、ちょっと寄り道。
上述した抜海集落のなかに「抜海港」があるのですが、この抜海港はゴマフアザラシの越冬地として知られています。
今回訪れたのは夏だったので、本来であればアザラシはいません。
しかし、一部の個体は北上せずに抜海港に定住しているそうで、今回はその定住した個体が見れないかな、という期待のもと訪れてみました。
ですが、残念ながら私が訪れたときは姿を確認できず・・・。
「見ることができればラッキー」くらいの確率のようです。
抜海地区を後にして、稚内市街へむけてラストスパート。
原野のような景色が広がり、いよいよ「最果ての地」が近づいてきたことを実感してきました。
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