川崎鶴見鉄道録

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武豊線を踏破する その2 JR東海 完乗の旅 5日目②

前の記事はこちら。 

5日目最初の乗り鉄路線 武豊線を乗り通して武豊駅にやってきました。

折り返し列車までの時間を利用して、武豊駅散策をすることに。

 

まずは駅名標をパチリ。

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ホームの様子。

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武豊駅は1面1線のホームと側線2線を持つ、行き止まり構造となっています。

現在の武豊線武豊駅が終点ですが、1965年まではさらに1kmほど貨物支線が伸びていて、その先に「武豊港駅」という貨物駅があったそうです。

 

改札を出て、お次は駅舎をパチリ。

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平屋建ての小ぶりな駅舎です。

 

駅舎の中の様子。

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武豊駅はかつて有人駅でしたが、2013年に無人化されたそうです。

無人化されてから日が浅いこともあり、有人駅時代の窓口跡などもしっかり残っていました。

 

駅前の様子。

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武豊町の中心部は、並行して走る名鉄知多武豊駅付近のようで、JR武豊駅前はガランとして少し寂しい印象ですね。

 

駅前ロータリーには「高橋照君之像」という、立派な銅像が建っていました。

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この「高橋照」という方は、武豊駅に勤務していた国鉄職員だそうです。

 

1953年9月25日、台風13号の高潮により近くの防潮堤が決壊し武豊線の線路が浸水したため、列車の運行には大変危険な状態になっていました。

武豊駅へ向けて運行していた列車を停止させるため、高橋照さんは暴風雨のなか発煙筒を炊きながら冠水した線路を歩き、列車に危険を知らせ無事に停止させることが出来ました。

しかしそれと引き換えに高橋さんは殉職してしまい、その功績をたたえるため銅像が建立されたとのことです。

 

そんな感じで武豊駅散策を終えて、次なる路線へ向けて移動します。

44本目 武豊線 2813F 区間快速 名古屋行き 武豊(7:35)⇒名古屋(8:34)

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武豊線の朝夕は名古屋駅直通の区間快速が主体で、名古屋方面への通勤・通学需要を重視したダイヤになっているようですね。

 

列車は定刻に武豊駅を発車。

乗車率は武豊駅時点では数人しか乗っていませんでした。

 

のんびりムードの中、武豊線を北上します。

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雨も上がって、天候が大分回復してきました。

 

東海道本線との接続駅である大府駅に差し掛かると、単線の非電化線路が出現。

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どうやら大府駅構内の貨物側線と武豊線本線を接続する線路で、原則ディーゼル機関車牽引であるためか、武豊線電化後も非電化のままのようです。

 

そして大府駅構内には、朝はいなかった「白ホキ」を従えたKE65重連が、出発準備を整えて待機していました。

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「白ホキ」は火力発電所向けの荷を輸送しているためか、夏休み期間も運転されているんですね。

 

名古屋駅寄りには、ここまで「白ホキ」を牽いてきたEF64が停車していました。

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今回は大府駅で下車せず、そのまま名古屋駅まで乗り通します。

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これにて武豊線の旅が完了です。

44本目 武豊線 2813F 武豊⇒名古屋
乗車時間:59分
移動距離:38.8km

 

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