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「芋臨」撮影後は鶴見線に移動し、引き続き貨物列車撮影を行います。
今回は「米タン」「リニア残土輸送」と並び、鶴見線の名物列車である「石炭列車」をじっくり撮影することにしました。
昭和駅は令和への改元時にちょっと話題になった駅ですが、駅名の所以はすぐ隣に「昭和肥料(現在の昭和電工)」の工場があったことから。
もともと鶴見線は「鶴見臨港鉄道」という私鉄が戦時中に国有化された路線なので、臨海鉄道らしい駅の名付け方と言えるでしょうね。
現在の昭和駅は、簡素な駅舎というか雨よけ?が建っていますが、かつては下のような味わい深い木造駅舎が建っていました。
2017年4月撮影
この写真は「昭和駅舎が解体される」という話をお友達さんから教えてもらい、解体直前に撮影したもので、たしかこの数週間後に解体されてしまいました。
ですがホームの上屋は旧駅舎時代からのものが現在も残っていたので、まずはそんな上屋とともに石炭列車を撮影。
5764レ DE10 1726
この何気ない光景も、あとどれくらい見られるのでしょうか。
ホームの端では、駅長さんが石炭列車を見送っていました。
日向ぼっこが気持ち良いのか、なんだか虚ろな目をしております。
5764レは隣の扇町駅が終点なので、私も自転車で扇町駅に追いかけます。
ここでも2匹の駅員が立哨業務についていました。
駅に到着して早々、機関車を切り離して入れ替え作業が始まったので、駅横の踏切で作業の様子を見物することに。
まずは切り離した機関車が、踏切まで出てきました。
踏切の真上で一旦停止してエンド交換行い、シーサスクロッシングを渡って駅構内に引き返します。
そのまま牽いてきたホキの横を通過し、反対側に回り込みに行きました。
踏切の反対側には「三井埠頭」の荷役線があります。
この奥に海外から輸入した石炭の貯蔵所があり、ここからホキに石炭を積み込こんで秩父鉄道三ヶ尻駅に隣接する「太平洋セメント熊谷工場」まで石炭を輸送しています。
これが、今回取り上げる「石炭列車」の運転目的であります。
DE10を反対側に連結したら、ホキを三井埠頭内に押し込みます。
カマもホキも、この無骨さが堪らなくカッコいいですねぇ~。
ホキを荷役線に押し込んだら、これで返空列車の入換作業は終了です。
ちなみに右側にいるホキは、三ヶ尻駅へ輸送する石炭を積み込んだ積載編成です。
機関車を切り離したら、再びシーサスクロッシングを渡って扇町駅構内に戻ります。
駅構内に戻ったら再度折り返して、今度は積載編成のもとに向かいます。
積載編成のホキと連結。
と同時に、青い作業服を着た「三井埠頭」の作業員と思しき人が出てきて、なにやら返空編成の準備を始めました。
このあと返空編成は、奥側に待機している三井埠頭内専用のスイッチャーによって引き込まれていくのですが、そのスイッチャーがこちら側に出てくることは基本的に無いため、外部からその姿を鮮明に捉えることはほぼ不可能です。
DE10のほうは積載編成との連結が完了し、扇町駅構内へホキを引き出します。
重々しいホキを従えて、ゆっくりと踏切を渡っていきます。
浜川崎方への出発信号機手前で停止し、最後尾に後部標識を取り付けます。
これで積載編成の入換作業が完了し、このあと5783レとして熊谷貨物ターミナルへ向かいます。
扇町駅出発まで少し時間があるので、浜川崎駅~昭和駅の南渡田運河へ先回りして、5783レを撮影します。
5783レ DE10 1726
ここは晴れるとモロ逆光になるので、本来は曇りの日のほうがオススメです。
本当は通過直前まで曇っていたのですが、通過時は晴れちゃって微妙な出来に・・・。
それとこの写真を見て「なんで複線の右側を逆走してるの?」と感じた方もいると思いますが、実は浜川崎~扇町は「複線に見えて旅客線と貨物線の単線並列」という扱いとなっています。
そのため、旅客列車は常に西側の線路、貨物列車は常に東側の線路を往復するため、特に下り列車を撮影するときは、勘違いしないように注意が必要です。
このあと5783レは浜川崎駅に停車し、牽引機をDE10からEF65に付け替えるので、私も浜川崎駅に追いかけます。
付いた頃にはDE10は切り離され、奥に引っ込んじゃいました。
ちなみに「米タン」設定日だと、DE10はこのあと単機で安善駅に移動し「米タン」の入換作業に従事する運用となっています。
浜川崎駅の出発時刻までは2時間以上あるので、一旦帰宅したのち八丁畷駅でEF65牽引の姿を撮影します。
5783レ EF65 2081
今日は運よく国鉄色が充当されており、しかも2081号機は国鉄色化してから初の撮影であったので、ダブルでお得な撮影となりました。
ですがこの季節は、晴れるとビル影がかかってしまうのが難点ですね。
ついでに後続の77レも撮影して、本日のシメとしました。
77レ EF65 2084
といった感じで、久々に「石炭列車」をびっちり撮影してみました。
今年6月に北海道釧路市の「太平洋石炭販売輸送臨港線」が廃止されたため、以後この列車は日本で唯一の石炭輸送列車となりましたが、そんなことが影響しているのか明らかに同業さんの数が増えたなという印象を持ちました。
そんな注目の列車が、自転車で数十分の場所でたっぷり撮影できるということは、貨物鉄にとってはとても幸運なことだと思います。
この列車の反対側に当たる三ヶ尻駅付近では、熊谷貨物ターミナルから秩父鉄道に入るため、秩父鉄道所属のデキたちが牽引の任務に当たっています。
秩父鉄道では、石炭以外にも石灰石輸送の貨物列車も多数運行されているので、そちらも撮り鉄に出かけたいところですね。
以上『鶴見線名物「石炭列車」を追いかける』でした。