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そしてここからが本遠征のメインイベントとなります。
やってきたのは、四日市港地区にあるこちらの場所。
この施設は東藤原駅近傍の工場で生産したセメントを一旦貯蔵する施設で、ここからトラックや裏手の船着場で船に積み込まれ、各地に出荷されていきます。
この施設の専用線が、今回のお目当てでございます。
セメント工場からこの施設までは、東藤原駅から三岐鉄道・JR関西本線を経由する貨物鉄道によって輸送されており、前回まで三岐鉄道線内で撮影していた「セメント列車」こそがそれに当たります。
かつては全国各地で鉄道によるセメント輸送が行われていましたが、現在は太平洋セメントによる東藤原~四日市港の輸送が唯一の存在となっています。
そんな専用線の様子を観察。
まずは施設入口にある踏切から中の様子を伺ってみることに。
中を除くと「DD511」と「DD452」というナンバーが取り付けられたスイッチャーが2機停車していました。
そのうちDD511にセメントタキが連結されていたので、本日の入換作業はDD511が担当のようですね。
DD511の左側には屋根が付いた荷役線があり、その中にもタキが停車していました。
この建屋で輸送してきたセメントを降ろすようです。
続いて踏切の反対側を観察。
一番右手の線路がJRとの授受線に接続されており、中央は機関車の引き上げ線、左側には屋根付きの小屋が設置されています。
入換作業までは時間があるので、いったん施設を離れて専用線の全貌?を知るために移動します。
施設からちょっと離れた場所には、国道164号線との踏切があります。
この踏切の特徴は遮断機がロープ式なことです。
ロープ式の場合は非常時に備えて扱い者が必要なため、この踏切は手動で開閉操作が行われており、そういった意味でもこの専用線は現代では珍しい存在と言えます。
この踏切を超えた先で、JR貨物の通称「四日市港線」と合流します。
右の直線が太平洋セメント専用線で、そこにカーブしながらJR線が合流する形になっています。
JR貨物線のカーブの先には、四日市港線名物の「末広橋梁」の橋桁がちらっと顔を出していました。
JR線と合流したあとは20mほど単線になり、そのあと複線となる構造になっています。
そんなに複雑な入換作業も無いので、シーサスクロッシングを嫌ってこのような配線にしたのでしょうかね?
単線から複線になったこの場所が、太平洋セメントとJR貨物の授受線となります。
ここはかつて「四日市港駅」という貨物駅だったそうですが、現在は四日市駅の構内扱いとなっているそうです。
四日市港線自体、太平洋セメント専用線に出入りする列車以外は走っていないので、もはや太平洋セメント専用線の一部と言えるかもしれませんね。
そのまま授受線の終端へと行ってみます。
終端には片渡り線が設けられており、ここで機回しが可能となっています。
授受線内にはいくつか踏切がありますが、その一つに「臨港橋東踏切」というちょっと規模が大きい踏切があります。
ここは貨車の授受時に長時間閉鎖されるため、信号機付きの踏切となっています。
脇に扱い所っぽい小屋があるので、ここも手動操作で開閉するのではないでしょうか。
そしてこの踏切、交差する道路もまた変わっております。
こちらは踏切に隣接して架かる「臨港橋」という道路橋なのですが、よく見ると警報機と遮断がついているのが分かります。
実はこの橋、道路橋としては珍しい跳ね上げ式の橋となっているのです。
下は運河となっており、ここを船が通過する場合中央部を跳ね上げてることが可能で、橋の中には扱い所も設置されていました。
そしてこの臨港橋から見えるのが・・・
こちらも国内の鉄道橋としては唯一の現役可動橋である、四日市港線のシンボル「末広橋梁」であります。
つまりこの運河には鉄道と道路の可動橋が隣り合って架けられているという、大変珍しい場所なのですね。
ちなみに末広橋梁「までは」、2019年秋の遠征時に訪問しておりました。
このときは、当時すでにDF200に置き換えられていたセメント列車運用をDD51が奇跡的に代走していたこともあり、JR線側の撮影に集中していたため運河を渡った先にある太平洋セメント専用線まで手が回りませんでした。
当然ながら専用線の存在も知っていたものの、目と鼻の先まで来ていながら訪問できずモヤモヤしていたので、2年後越しにリベンジしたかったのが今回四日市まで足を運んだ理由だったのです。
といった感じで、太平洋セメント専用線のロケハンはこれにて一区切り。
このあとは出荷センターに戻りまして、いよいよ専用線内の入換列車を撮影します。