川崎鶴見鉄道録

川崎・鶴見界隈の鉄道に関するブログ

EF200の引退に思いをよせて・・・

かねてより、2018年度中に引退の噂のあったEF200ですが、2019年3月28日発1086レ 幡生(操)→吹田を18号機が牽引したことを最後に全車運用終了となったそうです。

 

EF200は1990年(平成2年)に試作機である901号機が落成、その後1992年(平成4年)から量産が開始され、全21両が製造されました。

初めてのJR型機関車であり、国内で量産された電気機関車で初めてVVVFインバータを搭載し、定格出力は1,600t列車も牽引可能な6,000kWと、まさに新世代の機関車と呼ぶにふさわしい性能を持っていました。

 

しかし、1,600t列車運行の計画が中止されたことによりその性能は「オーバースペック」となり、その後経済的コストを最適化したEF210が開発され増備が終了。

増備終了後はEF66EF210とともに東海道山陽本線高速貨物列車牽引に充当されていましたが、製造元である日立製作所電気機関車製造から撤退したことにより保守部品の調達が困難となり、2015年ごろから順次廃車が進められていました。

 

そして、2019年3月28日に運用を終了。

平成の初頭に誕生し、平成の最後に終焉を迎えるという、まさに「平成を生きた機関車」といえるのではないでしょうか。

 

今回はそんなEF200引退を記念し、本ブログ立ち上げ前に撮影した写真や、手持ちの廃車部品なんかも交えて、EF200各機の活躍の記録を書き留めておこうと思います。

 

901号機

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試作機である901号機は、量産機と比較して屋根上カバーが大型だったり外見上に違いがあります。

掲載した写真は、2014年ダイヤで設定されたEH200との異種重連のタンカー列車91レとその返しで、当時の鶴見界隈はこの列車目当ての撮り鉄で賑わっておりましたね。

ちなみに901号機は現在、誕生の地である日立製作所水戸事業所で静態保存されており、現時点で唯一のEF200の保存車となっています。

 

1号機

1号機は2008年に重故障を起こして戦線離脱し、その後修理されることも無く2013年に解体されてしまいました。

私が貨物列車の撮影を始めたのは戦線離脱した後であったため、残念ながら撮影チャンスは一度も無かったので、写真はありません・・・。

 

2号機

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2号機は最後まで運用されていた3機のうちの1機で、901号機、1号機離脱後は最若番の機体として活躍しておりましたが、個人的には相性が良かったのか2号機はほかの機体と比べ、撮影機会が多い機体でした。

写真は2016年に新日鉄レール輸送列車に充当された時のもので、この頃はEF200が代走で結構充当されており、東海道線内まで足を延ばし撮影していました。

 

 3号機

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3号機は「福山レールエクスプレス」を代走したときの一コマから。

EF200がフクツーを代走することは少なかったのですが、2015年のダイヤ改正直前は高頻度でEF200が代走しており、沿線は結構賑わっていた記憶があります。

 

ちなみに3号機は、廃車部品も所有しております。

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こちらは3号機に装着されていたホイッスルです。

いつか鳴らしたいと思いつつ、コンプレッサーは持ってないし、そもそも自宅で鳴らしたら近所迷惑になること必至なので、どうしたもんかと思案中です・・・。

 

4号機

 

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4号機は三島駅を単機で通過する姿を。

このときは趣味活動ではなく仕事で出張中だったため、たまたま持ち歩いていた古いコンデジであわてて撮影したものです。

なので被写体ぶれを起こしてイマイチな出来なのですが、残念ながら4号機はこの1枚しかなかったので、4号機とはほとんど縁が無かったようですね。

 

5号機

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5号機も91レからの一コマ。

この当時は「晴れれば鶴見川」「曇れば水際線公園」という感じで、土日の度に91レを撮りまくっておりましたが、この時は珍しく晴れているのに水際線公園に出向いたようで、ここでの順光カットはこれ1枚だけでした。

 

6号機

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6号機も91レからの一コマ。

というか、91レばっかり撮りすぎですね(^_^;)

まあ、それほどインパクトのある列車だったということですな。

 

7号機

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7号機はこちらも今は亡き5095レ代走での一コマ。

5095レの象徴であった、JOTのISOコンテナやタンクコンテナと絡めて撮れて、嬉しかった覚えがある1枚です。

 

8号機

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8号機は91レでの一コマ。

8号機の写真はこれ一枚しか見つからなかったので、相性はイマイチだったようです。

 

9号機

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9号機はほかの機体と比べて顔の青色が薄く、水色っぽい塗装を纏っていたのが特徴。

しかもそれに加え、一部が通常の濃い青で補修?されてパッチワークのような外観をしており、ちょっとしたネタ機として扱われておりましたね。

写真はもはや説明不要の91レです。

 

10号機

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10号機は昨年の広島車両所公開での一コマ。

当時すでに運用離脱済みでしたが、このときは「運転台公開」という大役を任されておりました。

私も入りたかったのですが、並んでいると翌日参戦した多度津工場公開へ向かうためのバスに間に合わなかったので、泣く泣く断念しました。

 

10号機は廃車部品も所有しております。

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こちらは10号機の2エンド側に付いていた札差の枠です。

2019年の広島車両所公開イベントで購入したものですが、このときは車両自体は解体しておらず札差だけ剥がして売られていたという、なんとも生々しい?状態での販売でありました。

 

11号機

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11号機は9号機と同じく水色を纏っていたのが特徴でしたが、こちらは9号機と違い水色で統一された綺麗な外観でした。

11号機も相性がイマイチだったようで、この1枚しか見当たりませんでした。

 

12号機

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12号機は総持寺踏切跡での朝練の一コマから。

この当時は1本のみながら、朝の上り貨物にもEF200の定期運用があったため、朝練をしたらいつでも狙える存在でありました。

 

12号機は廃車部品も所有しております。

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こちらは12号機に装着されていた、日立製作所のメーカー銘鈑です。

日立製作所EF200以降、ED500の試作車を除き機関車の製造を行っていないので、機関車用の日立製作所の銘板としては、最後のものとなりますね。

 

1機だけ持っている鉄道模型EF200も、12号機に仕立てています。

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12号機に設定したのは、付属ナンバーのうちたまたま12号機の部品を持っていたからという、意味があるのかないのか不明な理由によります (^_^;)

 

13号機

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13号機はキハ181系「おわら」目当てで、関西へ遠征した時の一コマから。

このときは「おわら」を山科駅で撮影したいがために、2時間くらい前からスタンバイしていて、そのとき偶然撮影したものです。

 

13号機も廃車部品を所有しておりますが、こちらは結構な大物部品。

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見てお分かりの通り、正面ナンバーの切り抜きです。

WikipediaEF200のページに「機関車の車軸上重量に余裕があれば、通常は粘着力向上のために余裕上限まで死重を搭載するが、本形式は事故対策の車体強化に伴う重量増加に対応させている。」という記載があるのですが、EF200は運転台の板厚が普通の機関車より厚く、なんとこれ1枚で15kgもあります。

 

これは広島車両所公開で購入したのですが、こんなのを新幹線に持ち込めるわけがないので、近くのセブンへ30分かけてゼイゼイ言いながら運んだところ「コンビニで扱えるサイズをオーバーしているので無理です」と、まさかのお断り・・・。

その後タクシーでクロネコヤマトの営業所に持ち込み、タクシーの運転手さんとヤマトの営業所の人をドン引きさせたという、思い出の一品でございます (^_^;)

まあ苦労した分、愛着もひとしおですがね(笑)。

 

14号機

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14号機は山陽本線の名所「セノハチ」での一コマからで、まさにセノハチの急勾配へ挑んでいるシーンを、背後から偶然撮影しておりました。

このときはEF67目当てで訪れたわけですが、当時の私はまさかこのカットが後年、日の目を見るとは思いもしなかったでしょうね。

 

15号機

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15号機は横浜羽沢駅付近での朝練の一コマより。

今はこの左上に、相鉄線直通に関連し信号機が取り付けられたそうで、ここまですっきりと撮影出来なくなったようです。

機関車のみならず、撮影地としても懐かしい1枚となりました。

 

16号機

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こちらは91レでの一コマですが、上と違いEH200は従えずEF200の単機牽引。

91レは2014年改正で異種重連化され注目度が上がりましたが、実はその前からEF200牽引のタンカー列車として、地元の撮り鉄には知られた存在でした。

今となっては、単機牽引の姿がものすごく懐かしく思えますね。

 

17号機

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17号機は「トヨタロングパスエクスプレス」を代走した時の一コマ。

光線も積載も良好だったのですが、スカ線に被られガッカリしたことを鮮明に覚えております・・・。

しかしあと数年したら、被ってきたE217系過去帳入りしそうなので、これはこれで価値のある1枚になるのかもしれませんね。

 

18号機

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こちらは現在連載中の「関西国鉄型 撮り鉄遠征」からの一コマ。

18号機は最後まで稼働した3機のうちの1機かつ、上述したとおりEF200最後の列車を牽引した車両となりました。

偶然ではありますが、私個人としてのEF200のラストショットも、18号機が務めてくれました。

 

19号機

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19号機は伯備線への遠征時、三石~上郡の有名カーブで撮影した一コマから。

19号機は運転席側の側面窓下にJRマークが付いているのが特徴で、上の写真の機体後方に白いマークが付いているのがわかると思います。

19号機も最後まで稼働した3機のうちの1機です。

 

20号機

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20号機は小田栄駅で撮影した5094レ代走の一コマから。

20号機はEF200のラストナンバーなのですが、当ブログ的には一番最初に登場した記念すべき機体だったりします(どうでもいいですね)。

20号機も相性が良かったようで、ブログを始める前から結構撮影していた機体でした。

 

 

といった感じで、EF200の活躍の記憶を書き留めてみました。

EF200は好きな機関車だったため、割とこまめに記録していたおかげで、今回掲載した以外にもたくさんの写真が残っておりました。

 

今のところ901号機以外に保存機はありませんが、「広島コレクション」入りする機体が現れるのか、それとも全機重機の餌になるのか気になるところです。

まあどちらにしろ、今年の広島車両所公開で「どんな状態か」は別にして、再会することになると思いますが (^_^;)

 

稼働年数は延べ29年と、量産された機関車としては短命に終わってしまいましたが、私個人としては記憶にも記録にも残ったし、廃車部品や鉄道模型としてではありますが、形あるものとしてこれからも身近に存在してくれることでしょう。

機会があれば、水戸まで行って901号機と再会したいです。

 

 

29年間の活躍、本当にお疲れ様でした!!