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清里町でロイヤルエクスプレスを撮影した後は「鉄道遺構」の見学へと参ります。
前回の撮影地から車を20分ほど走らせてやってきたのがこちら。
斜里町にある第一幾品川橋梁、通称「越川橋梁」でございます。
実はここ、2018年に北海道を一周した旅で訪れる計画だったんですが、時間が無くて飛ばさざるを得なかった場所でして、3年越しに訪問することが出来ました。
橋梁の袂には説明書きがありました。
この橋梁は、知床斜里駅~根室標津駅を結ぶ計画だった「根北線」の一部として戦時中に建設されたものです。
しかし、戦争による資材不足の影響で根北線自体の建設がストップし、その後一部開業していた根北線も廃止されたため、完成間近まで建設されながら一度も使用されることがなかったという歴史を持っています。
越川橋梁はもともと10連のアーチ橋でしたが、橋の下を通っていた国道244号線を拡張する際、橋脚2本が撤去されて分断されています。
そんな感じで姿を変えてしまった越川橋梁ですが、1998年に国の登録有形文化財へ登録され、橋脚に登録プレートが誇らしげに取り付けられていました。
鉄道橋としての役目は一度も担うことは無かったものの、そんな変わった歴史のおかげで文化財に登録されることになるとは、なかなか面白い歴史を歩んでいるようです。
てな感じで越川橋梁の概要をご紹介したところで、今度は近くでじっくりと観察してみることにします。
前述した通り橋梁の真ん中を国道が貫いていますが、橋梁の袂は簡単に整地されており車を気にすることなく安全に見学可能です。
ただし経年劣化のためかコンクリート片が剥がれ落ちており、事故防止のため近づきすぎにはご注意くださいませ。
いざ間近で見ると、その高さに圧倒されます。
越川橋梁は最大21.6mあるにもかかわらず、前述した通り戦時中の物資不足の影響で鉄筋が一切使われておらずコンクリートだけで出来ているそうな。
そういった当時の建築技術を伝える意味でも、重要な文化財と言えそうです。
橋梁の袂から幾品川に降りるためのロープが設置されていたので、せっかくなので降りてみることに。
ただし歩道などは整備されておらず、軍手と長靴装備があったほうが良いです。
川に入ってサイドから見ると、まるでローマ文明の水道橋のような美しいアーチ姿を見ることが出来ました。
こんな建造物が日本の最果てであるオホーツク地方の無人の山中にあるとは。
といった感じで越川橋梁の見学はこれにて終了。
思った以上に素晴らしい遺構で、3年越しに訪問出来て良かったです。
このあとは撮り鉄に戻って、3日目最後の撮影に挑みます。