川崎鶴見鉄道録

川崎・鶴見界隈の鉄道に関するブログ

震災から復旧した常磐線を旅する その1 2021夏の東北遠征⑦

前の記事はこちら。

 

いわき駅から引き続き、普通列車常磐線を北上します。

車両はE531系の付属編成でした。

 

皆さんご存知と思いますが、常磐線は2011年に発生した東日本大震災津波原発事故の影響により、福島県内を中心に長らく寸断状態にありました。

その後、津波被災区間の内陸部移設や除染作業が進み、震災から約9年となる2020年3月14日、最後の不通区間だった富岡~浪江が再開し常磐線全線が復旧に漕ぎつけることができました。

常磐線自体は震災前に全線完乗済みでしたが、復旧後の乗り鉄は今回が初めてなので、車窓をじっくりと眺めつつ移動したいと思います。

 

というわけで、列車はいわき駅を発車。

いわき駅以南の閑散具合とは異なり、意外にも立ち客も出るほどの混雑でした。

 

いわき駅では「旅のお供」を購入。

福島名物の「酪王カフェオレ」を仕入れておきました。

 

カフェオレを飲みつつ車窓を眺めていると、時おり太平洋が見えてきました。

 

Jヴィレッジ駅に到着。

Jヴィレッジ」は、もともとサッカーのトレーニング施設だったものの、震災後は原発事故対応の拠点として使用されていました。

震災前にこの駅は存在していませんでしたが、施設再開時に隣接する常磐線に駅が設けられることになり、2019年に臨時駅として仮開業、そして2020年の常磐線復旧に合わせ常設駅へと昇格しております。

無人駅なのですが、もともと駅がなかったトンネル出口付近に増設したこともあって、構造的に結構大がかりだったので驚きました。

 

Jヴィレッジ駅を過ぎると人家もまばらとなり、その代わり工事現場が目立つように。

防波堤を作ったり、除染作業なのか土を掘り返したりと、まだまだ復興半ばという光景が広がっておりました。

 

列車は富岡駅に到着。

ここから浪江駅までの区間が、復旧まで最も時間を要した区間

すなわち「最も被害が深刻な地域」ということになります。

 

まず最初の駅は夜ノ森駅です。

この旅の当時(2021年8月)、夜ノ森地区は常磐線を境に西側は立ち入り規制が解除されていましたが、東側は立ち入り規制区域となっており、駅前に規制ゲートなどが立っていたそうです。

その後2022年1月に規制が緩和され、現在は常磐線より海側にある国道6号線付近まで立ち入りが可能(居住は引き続き禁止)となりました。

ただこのときは乗降客ゼロ人と、かなり寂しい光景だったのは覚えています。

 

夜ノ森駅を過ぎて大熊町に入ると、一層人気が無くなりました。

大熊町は、大事故を起こした福島第一原子力発電所の1~4号機がある町。

それゆえに事故から10年以上が経った現在も、常磐線より海側のほぼ全域が帰宅困難地域に指定されているため、作業員以外の人間はほとんど立ち入れません。

 

そんなこともあり、道路には検問が設けられていました。

かつては畑だったと思われますが、草木に埋もれたガードレールなどにその面影をわずかに感じる程度で、ほとんど自然に還ってしまっていますね。

 

山側は立ち入り制限が解除されているものの、沿線には完全に放棄された住宅も見られます。

 

大熊町唯一の駅である大野駅に到着。

震災前は複線だったそうですが、復旧後は単線化され線路を撤去した路盤は緊急用の道路として舗装されています。

 

そして大野~双葉が福島第一原子力発電所に最も隣接する区間となります。

この高電圧線の先に発電所があるようで、事故のあった原子炉とは直線距離でわずか1km程度しかないのですが、車窓を見る限り人類史に残るような原子力事故が現在進行形で起こっている土地には全く感じず、それこそが原子力災害の恐ろしさなのかもしれません。

この付近は全域が帰宅困難地域に指定され、部外者は許可なく立ち入りが禁止されていますが、常磐線の鉄道敷地内および平行する国道6号線は「停車せず通り抜けるに限り立ち入り可」という特例扱いで通過可能となっています。

 

このあたりは最も汚染された地域の一つでもあるため、かなりの数の建物が手つかずで放置されたままになっていました。

建屋に草が絡みついていたり、窓ガラスが完全になくなっていたりと、おそらく震災発生時からほとんど人の手が入っていないのでしょう。

この地域に人の営みが戻るのには、もう少し時間がかかりそうですね。

 

列車は双葉町に入り、双葉駅に到着。

双葉町もまた福島第一原子力発電所の5,6号機がある町で、甚大な被害を受けた場所であり、町内のほぼ全域が避難地域に指定されています。

この当時も、駅と周辺施設のみ特例で解除されていた状態なので、人気は全くありませんでした。

 

双葉町内の沿線も似たような状態で、墓地も墓石が倒れたまま放置されています。

並走する国道6号線も脇道への交差点はバリケードで封鎖されており、交差する車のない交差点も信号機がむなしく点灯していました。

 

双葉町を抜けて浪江町に入ると、ようやく人の姿を見ることが出来ました。

 

そして浪江駅に到着。

 

浪江駅から北側は、すでに常磐線沿線は全域で避難指示が解除されており、徐々に復興が進みつつある町を眺めながら、終点の原ノ町駅に到着です。

 

といった感じで、原発事故から復旧した区間を初めて乗り鉄してみました。

避難指示が解除された地域では、徐々に人が戻りつつあるのが垣間見えましたが、長い避難期間の間に新たな生活拠点を築いた人も多く、やはり震災前の活気とはほど遠い状況のようです。

そして現在も帰宅困難地域に指定されている場所では、まだまだ復興も始められない深刻な現実を見せつけられました。

この状況があと何年続くのか予測も出来ませんが、少しでも早く復興が進むことを祈っております。

 

このあとも引き続き、常磐線を北上します。