川崎鶴見鉄道録

川崎・鶴見界隈の鉄道に関するブログ

方向幕から辿る 東海道線185系の歴史②

前の記事はこちら。 

前回から始まった185系引退記念企画「方向幕から辿る 東海道線185系の歴史」。

第2回は国鉄末期~90年代前半の方向幕を取り上げます。

 

国鉄末期:200番台の転入とライナー列車の登場

1987年の民営化を控えた国鉄末期、田町区の185系にも大きな動きがありました。

まず一つは、1985年の東北・上越新幹線 上野開業により「新幹線リレー号」の運用から外れ、余剰となった新前橋区の200番台の一部が田町区へ移籍したことです。

f:id:kawaturu:20210308222445j:plain

田町区には「急行伊豆」の153系を置き換え用に0番台が115両投入されましたが、「あまぎ」に使用されていた183系まで置き換えるまでには至らず、「踊り子」は183系と185系の両形式が運用され続けていましたが、200番台の追加投入により定期「踊り子」の185系化が完了。

200番台の転入により、田町区の185系は「0番台10両編成」「200番台7両編成」「0番台5両編成」の3種類が存在することになり、それぞれ「A編成」「B編成」「C編成」として運用も分けられました。

 

A編成は東海道線での通勤需要を考慮しグリーン車2両組み込みの10両編成、C編成はA編成の付属扱いで普通車のみであり、大きな需要が見込める東海道線以外では少々使いにくい存在で、それが前回ご紹介した初期の方向幕にも表れていました。

一方のB編成は7両編成でグリーン車は1両、元々高崎線上越線での運用を考慮し耐寒機能が強化されたこともあり、多客臨や「シュプール号」など寒冷地への季節臨などの臨時列車にも使うことができるので、東京発着の短・中距離列車を担う「便利屋」として重宝されることに。

そんなことから、B編成は東海道線以外の列車も多く受け持つことになり、JRへ民営化されたあとも運用範囲を拡大し続け、結果的に田町区185系全体の列車運用や方向幕の多彩性に大きな影響を与えることになります。

 

そしてもう一つは、今や「踊り子」と並ぶ185系充当列車の代表格である湘南ライナー」の運行開始です。

f:id:kawaturu:20210307202417j:plain

国鉄における首都圏の通勤ライナーは、1984年に上野~大宮で運行を開始した「ホームライナー大宮」が最初ですが、これは「あさま」に使用した189系を大宮へ回送列車を客扱いするという、間合い運用の要素が強い列車でした。

その後1986年に東海道線で運行を開始した「湘南ライナー」は、前者のような「回送ついでの小遣い稼ぎ」ではなく、それ自体の運行を目的とした「本格的な有料通勤列車」であり、東海道線の旺盛な通勤需要も手伝って大成功をおさめます。

 

この「湘南ライナー」の成功を受け、新宿方面への「湘南新宿ライナー」、高崎線ホームライナー鴻巣」、東北本線ホームライナー古河」といった通勤ライナーが相次いで設定されました。

そして、それらの列車にも185系が投入されたことから「昼は特急・ラッシュ時は通勤ライナー」という、現在まで続く185系の運用スタイルがこの時期に確立されることになったのです。

 

というわけで、この時期に使用されていたB編成の方向幕を見てみましょう。

f:id:kawaturu:20210308234516j:plain

前回ご紹介した創成期との大きな違いは、方向幕に「指定席」「自由席」の座席種別が追加されたことで、このスタイルは2021年現在まで継続しています。

 

さらにもう一つ特筆すべきことは「踊り子」のコマは2重に印刷されているのです。

f:id:kawaturu:20210309000342j:plain

「踊り子」の行先としては、東京・品川・熱海・伊東・伊豆急下田修善寺・新宿・池袋が収録されていますが、それらのコマは1本のロールに重複して印刷されています。

ホーム上で185系の方向幕の幕回しを録画して「なんで踊り子が2回続けて出てくるんだろう?」と疑問を持たれた方もいるのではないでしょうか。

 

これにはちゃんと理由があって、時の「踊り子」は繁忙期と閑散期で指定席・自由席の構成が異なっており、それを表示し分けるための工夫です。

現在はA編成1~8号車、B(OM)編成1~5号車、C編成13~15号車が指定席、それ以外は自由席に固定されていますが、かつてはA編成8号車、B編成5号車、C編成13号車は繁忙期が指定席、閑散期が自由席と座席種別が変化していたので、対象車両の方向幕だけは指定席と自由席を使い分ける必要があったのです。

その対象車に使われていた方向幕がこちら。

f:id:kawaturu:20210309002327j:plain

上半分が繁忙期用、下半分が閑散期用のコマで、指定席と自由席が両方されていることから、これを見れば2重に印刷されているのも納得するでしょう。

ですが使い分けているのは上記3車両だけで、それ以外の車両は指定席・自由席がダブって印刷されるため、この仕組みを知らないと違和感が湧いてしまうのです。

ちなみに現在は繁忙期・閑散期の使い分けはしていないものの、C編成が当時の方向幕を未だに使い続けている関係で、それと併結するA・B・OM編成の方向幕も合わせて2重に印刷されたままとなっています。


「踊り子」以外を見てみると、本職の東海道線以外の列車も多数収録されています。

こちらは東北本線の新特急「L特急なすの」です。

f:id:kawaturu:20210309004326j:plain

北海道生まれの私にとって「新特急」という種別、しかも「新特急でありL特急である」という謎の欲張り具合は違和感しかありませんが、関東生まれの方にはちょっと懐かしい響きなのではないでしょうか。

ちなみに「なすの」の愛称は、1995年から東北新幹線 東京~那須塩原の各駅停車タイプの愛称へ転用されたことから、それ以後の当該列車は「おはようとちぎ」・「ホームタウンとちぎ」という名前に変更されています。

 

さらには通勤ライナー群のコマも拡充されました。

f:id:kawaturu:20210309011913j:plain

ここで面白いのは湘南ライナー」が行先なしの列車名のみに対し、湘南新宿ライナー」「ホームライナー鴻巣」は列車名なしの行先のみと、真逆のスタイルとなっているのです。

いったいどういう意図があったんでしょうか?

 

またこの時期から「快速幕」やスキー臨「シュプール」など、臨時列車関連のものも収録されています。

f:id:kawaturu:20210309005844j:plain

f:id:kawaturu:20210309005828j:plain

f:id:kawaturu:20210309005944j:plain

快速幕に関してはホリデー快速用途のため準備したっぽいです。

今でこそ特急車両を使った臨時快速列車は珍しくないですが、185系に関しては民営化直後から充当されていたようですね。

 

さらに後半の普通幕には、分割民営化の影響が出始めています。

f:id:kawaturu:20210309010543j:plain

f:id:kawaturu:20210309010558j:plain

国鉄時代には収録されていた東海道線 島田・浜松と御殿場線 山北・御殿場という、分割民営化によってJR東海区間へとなった駅名が大幅に削除され、代わりに横須賀線 逗子・横須賀と中央東線 甲府・大月が追加されました。

こう見ると「185系JR東海区間乗り入れ」に関しては、民営化直後から「修善寺踊り子」を除いてあまり考えられていなかったことが、方向幕から伺い知れますね。

 

巻取器に付けて回した動画がこちら。

やはり「踊り子」が連続して表示される様子が、現在の幕のスタイルに似てきたなという印象ですね。

実際のところ「踊り子」に関しては、「L特急」の表示がなくなったこと以外は基本的に現在まで変わっておりません。

 

ちなみにこのバージョン、実はC編成用の幕も所有しております。

B編成用と何が違うかというと「なすの」や快速幕など、B編成しか充当されない列車がごっそりと削除されているのです。

f:id:kawaturu:20210309014017j:plain

f:id:kawaturu:20210309014044j:plain

f:id:kawaturu:20210309014126j:plain

素人目には共通化したほうが管理しやすいと思うのですが、印刷コストを考えると別管理になっても無駄な表記を削るほうが有利だったんでしょうかね?

「踊り子」のコマを見ると、伊豆急下田ではなく修善寺の汚れが目立つのも、C編成用の方向幕であることがわかります。

 

そしてさらにこのバージョンではもう一種類ご紹介。

今度は最初と同じくB編成用の方向幕なのですが、先にご紹介したものから数年後に製作されたと思われる個体も所有しているので、そちらを見てみましょう。

f:id:kawaturu:20210309015034j:plain

まずは快速幕が削除されて「新特急あかぎ」「特急日光」に置き換わっています。

Wikipediaを見ると、先の快速幕を使用したと思われる「ホリデー快速むさしの」が1990年秋以降167系に置き換わったので不要になり、さらに1992年秋に「特急日光」が新設されたことに対応するため修正がかかったようです。

 

通勤ライナー群にも変化がありました。

f:id:kawaturu:20210309015645j:plain

ホームライナー鴻巣」用の鴻巣が「新特急ホームタウン高崎」に変更。

これも185系が充当されていた新宿発の列車が、1993年12月に特急へ格上げされたことによる修正のようです。

さらに写真の撮り方が悪かったのですが、小田原の下に「ホームライナー古河」用の古河が追加されています。

 

「踊り子」の幕にも変化がありました。

f:id:kawaturu:20210309020008j:plain

臨時列車が設定されたのか、行先が伊豆高原駅のものが追加されました。

ですがこのあと公開する後年のバージョンには伊豆高原は収録されていないので「伊豆高原行きの踊り子」は短命に終わったようですね。

 

さらに「特急日光」を含むこの3コマと引き換えに横須賀・沼津・静岡の普通幕が削除され「踊り子 修善寺」を除きJR東海へ乗り入れる行先が完全に消滅しており、このことからJR東日本としては90年代初頭の時点で185系を「修善寺踊り子」と臨時列車以外で、JR東海へ乗り入れさせる気が全く無かったことがわかります。

ちなみに185系の方向幕にJR東海区間が復活するのは約20年後、2013年に「ムーンライトながら」が183系から185系に置き換える際、波動用編成の方向幕に「ムーンライトながら 大垣」が記載されるのを待たねばなりません。

ムーンライトながら」の送り込み・返却も兼ねていたとはいえ、1996年から東京~静岡の普通列車運用に373系を充当させたJR東海とは対照的で、こうやって方向幕を時系列で並べていくと、時刻表には表れない鉄道会社の思惑も読み取れるのが、この趣味の面白いところでありますな。

 

さらに末尾には「シュプール白馬」も追加されました。

f:id:kawaturu:20210309022502j:plain

 

こちらも巻取器につけて回してみました。

ちなみに写真を撮り忘れましたが、「なすの」は1990年3月改正で「L特急」指定が解除されたので、普通の新特急表記になっています。

 

冒頭に紹介した指定席・自由席表示に始まり、編成ごとに微妙に内容が異なることに加え、民営化当初~90年代前半は列車の統廃合や車両運用が頻繁に行われたことから、方向幕もかなり多くのバージョンが存在しており、コレクター的に国鉄末期~00年代前半までの時代の田町区185系の方向幕は「沼」の様相を呈しております・・・。

オークションや鉄道部品店を観察していると、今回取り上げた内容以外のモノも存在しているようなので、もし追加で入手をした暁には加筆していきたいと思います。

 

 

以上が国鉄末期~民営化直後の方向幕のお話でした。

次回はここから数年が経過した、90年代後半の方向幕を取り上げます。