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当時の根室本線 不通区間は東鹿越駅~新得駅間となっており、ここ東鹿越駅は鉄路と代行バスの乗換駅となっており、駅前にはバス停看板が立っていました。
さらに駅前の道路沿いには別のバス停も。
まずは駅舎内を観察。
大雨による代行バス設定後こそ乗換駅という大役を担うこととなりましたが、それまでは市街地から離れた単なる山里の駅だったこともあり、駅舎はこじんまりとしています。
壁には時刻表が掛かっていました。
東鹿越駅のダイヤは、新得方面の代行バスが1日4本なのに対し、富良野方面の鉄路は1日5本と変則的な体系になっています。
これは当駅を挟んだ富良野~新得間で、早朝に落合⇒富良野の片方向のみ通学用途の列車が存在したためです。
ドアの上には、なぜか魚拓が掲げられていました。
かなやま湖で釣り上げたと思わる、幻の魚「イトウ」の魚拓のようですね。
イトウは日本最大級の淡水魚だそうで、それにたがわぬ大物を釣り上げた方が、かなやま湖のほとりにある東鹿越駅へ寄贈したのでしょうか?
続いてホームを観察。
東鹿越駅は1面2線の行き違い可能なホームで、駅舎とは踏切で繋がっています。
すでに鉄路が事実上廃止されていた新得方の様子。
雑草は生えていますが、落合駅のようなジャングルにはなっていません。
ホーム上には石灰石が置かれていました。
東鹿越駅の裏には石灰石の鉱山があり、その積み出し拠点として開設されたのが、東鹿越駅の始まりだそうな。
貨物列車の設定は1997年に終了しましたが、鉱山の操業自体は現在も続いているようですね。
駅名標をパチリ。
そんな感じで駅舎観察をしていると、富良野方面から列車が到着。
ツートンカラーのキハ40 1766が充当されていました。
列車からは乗客が10名弱降りてきました。
ほぼ全員が乗り鉄でした(笑)。
こんな感じで鉄路・代行バスが同時に到着・発車して、双方向とも短時間で乗り継ぎが可能なダイヤとなっています。
静かだった東鹿越駅も、このときだけは賑わっていました。
代行バスはJR北海道バスではなく「ふらのバス」が協力しているようで、車体には列車代行輸送の掲示が出ていました。
列車代行バスとはいいつつ、周辺に駅が無いはずのサホロリゾートも経由するようで、そういう意味では鉄路より便利になったのでしょうか?
列車のほうは一旦ドアを閉めたあと、エンドを切り替えて富良野方面へ出発準備を整えます。
そのあと列車も富良野方面へと折り返していきました。
ひと時の喧騒が過ぎ去り列車、代行バスとも発車したあとの東鹿越駅は、再び静寂に包まれました。
東鹿越駅自体の利用客はほぼ皆無なので、1日5回の乗り継ぎ時だけの賑わいなのでしょうね。
といった感じで人気が全くなくなった東鹿越駅を後にしようとしたら、駅前の道路で数少ない地元住民?と遭遇しました。
この人馴れした感じと物欲しそうな目線は、餌付け慣れされているのでしょう。
しかし当然ながら野生動物、さらにキタキツネは人間にも害を及ぼすエキノコックスの宿主であるため、決して餌付けや触れてはいけません。
これにて東鹿越駅探訪は終了です。