川崎鶴見鉄道録

川崎・鶴見界隈の鉄道に関するブログ

別海町 奥行臼歴史の里 北海道放浪の旅 11日目⑨

前の記事はこちら。

乳牛のまち 別海町の絶品ポークチャップ!! 北海道放浪の旅 11日目⑧

 

前回の記事では、別海町の絶品グルメをご紹介しましたが、ちゃんと鉄道ネタも取り揃えております。

というわけでやってきたのが、別海町の南東部、国道243号線と国道244号線の交差点に位置する奥行臼歴史の里という場所です。

f:id:kawaturu:20190909193705j:plain

現在の別海町には鉄道路線は1つも存在しませんが、かつて「標津線」と「旧別海村営軌道」という2つの鉄道が存在していました。

いずれの路線も廃止済みですが、2つの路線の接続点であった奥行臼駅周辺には、現在も当時の駅舎などが文化財として保存されており、一般公開されています。

 

まずやってきたのは、旧別海村営軌道の奥行臼駅跡です。

f:id:kawaturu:20190909201912j:plain

f:id:kawaturu:20190909201941j:plain

こちらの奥行臼駅は、現在の根室本線厚床駅と中標津町を結ぶ殖民軌道の停留所として1925年に開業し、晩年は標津線奥行臼駅と上風連地区を結ぶ「旧別海村営軌道風蓮線」の停留所として1971年まで運用されたあと、1997年に別海町有形文化財に登録され保存が決定しました。

 

こちらが旧別海村営軌道風蓮線の奥行臼駅舎。

f:id:kawaturu:20190909201923j:plain

廃止からまもなく50年が経とうとしていますが、文化財に登録されているだけあり、保存状態はそれなりに良好のようです。

 

駅舎の前には、当時使われていた車両も保存されています。

f:id:kawaturu:20190909204421j:plain

f:id:kawaturu:20190909205126j:plain

こちらは「自走客車」と呼ばれる、いわゆる「ガソリンカー」のレールバスで、計2両で旅客輸送を担っていたそうです。

 

こちらはディーゼル機関車と木造無蓋貨車。

f:id:kawaturu:20190909205115j:plain

f:id:kawaturu:20190909205219j:plain

f:id:kawaturu:20190909205227j:plain

f:id:kawaturu:20190909205235j:plain

こちらの車両は、町内の酪農家から集めた生乳を加工工場へ輸送するために使われていたそうで、酪農が盛んな別海町ならではの車両ではないでしょうか。

現在はタンクローリーに置き換えられていますが、かつてはこの貨車に生乳を入れた集乳缶を満載して走っていたと思うと、一目見ておきたかったですね。

 

敷地内には、転車台の跡も残されていました。

f:id:kawaturu:20190909205530j:plain

こう見ると、村営軌道とはいえかなりの規模だったことが分かります。

 

続いては標津線の奥行臼駅跡へ。

f:id:kawaturu:20190909193629j:plain

f:id:kawaturu:20190909195536j:plain

標津線は、釧網本線標茶駅と標津町根室標津駅を結ぶ本線と、途中の中標津駅から根室本線厚床駅を結ぶ支線から成り、奥行臼駅は支線に属していました。

奥行臼駅は1933年に開業しましたが、1989年の標津線廃線に伴い廃駅となったあと、翌1990年に別海町有形文化財に登録され保存が決定しました。

 

こちらには、味のある木造駅舎が保存されています。

f:id:kawaturu:20190909200442j:plain

f:id:kawaturu:20190909200457j:plain

f:id:kawaturu:20190909200504j:plain

内装もちゃんと残っておりました。

 

駅舎だけではなく、ホームや駅名標、レールも保存されています。

f:id:kawaturu:20190909200537j:plain

f:id:kawaturu:20190909200608j:plain

ただ、電柱や駅名標が駅舎側に大きく傾いているのが気がかりです。

地震や台風などで倒れ、駅舎に直撃しなければよいのですが・・・。

 

レールはホームの前後数十メートルに渡って敷設されており、当時使っていたと思われる腕木式信号機やポイントも残っています。

f:id:kawaturu:20190909200911j:plain

f:id:kawaturu:20190909200827j:plain

 

側線には貨物用ホームの跡もありました。

f:id:kawaturu:20190909200940j:plain

 

駅周辺には、付帯設備と思われる小屋の跡地も。

f:id:kawaturu:20190909201026j:plain

f:id:kawaturu:20190909201032j:plain

f:id:kawaturu:20190909201038j:plain

下の小屋からは、ダイヤモンドクロス状に線路が敷設されていました。

保線用のトロッコでも収容していたのか、前述した村営軌道と繋がっていたのでしょうかね。

 

といった感じで「奥行臼歴史の里」に保存されている鉄道遺産をご紹介しました。

正直、訪問前は大した内容じゃないんだろうなと思っていましたが、実際に探訪してみると思った以上の内容で、特に旧別海村営軌道のほうは、現存する数少ない殖民軌道の流れを汲む遺産であるので、一見の価値はあるのではないでしょうか。

訪問しにくい場所ですが、興味が湧いた方は是非訪問してみてください。

 

次の記事はこちら。

風蓮湖 北海道放浪の旅 11日目⑩